人が神へと至る道=「上丹田を開く」にチャレンジしよう。
「上丹田を開く」のは日の栄えの瞑想。
神へと至る生命の木をのぼること。
人を超えた知識を得るには瞑想が不可欠。
瞑想にも段階があって瞑想の質を高めていく必要がある。
また、生命の木もあればダークサイドに堕ちる死の木もあって、知らず知らずに死の木へ道をたどっていることもあるので注意が必要。
体の明かりは目である。だから,あなたの目が正しく見ていれば,あなたの全身に光が満ちるであろう。
末日聖徒イエス・キリスト教会 モルモン書 第三ニーファイ13章22-23節
しかし,あなたの目が悪を見ていれば,全身に暗闇が及ぶであろう。だから,もしあなたの内にある光が暗闇になるならば,その暗さはどんなに深いことか。
モルモン書にある復活後に訪れたアメリカ大陸のイスラエルの民に姿を現され教えた。
その中にある言葉。
その意味を神秘主義から瞑想や啓示という観点で解き明かします。
瞑想しながら生まれ変われる方法がここにある!
ここで目とは額にある目のこと。
これが心眼で本当はこれが第一の目。
心眼が開くと神の栄光が差し込んできて霊体を満たす。
霊体が満たされると肉体も変化して刷新される。
見た目は普通でも栄光に満たされた肉体となっている。
反対に悪心で瞑想に臨むと栄光とは反対の光が満ちて霊体には暗闇が満ちる。
陽の栄光とは反対の光は心に闇を満たす。
そして、陽の世界ではなく陰の世界へと霊体と肉体は刷新される。
ここでは陰陽を善悪で判断せず、相反する世界があるとだけ触れておく。
心の温かさが神の世界への入り口
心の奥には神と通じる別世界に通じる門がある。
門を少し開けて、そこから湧き出る光を通して神の世界やこの世界の真実を感じることができる。
はじめのうちは瞑想と祈りによってお腹や胸のあたりに温かさを感じることがある。
これが下丹田(腹)、中丹田(胸)と呼ぶ。
もっと瞑想が進むと額の前に光を感じることがある。
この時の感覚は歓喜となる。
これが心眼が開いた状態で上丹田となる。
反対に瞑想中、自分を闇が取り囲み、思いが冷える感覚に陥るときもある。
瞑想をはじめた動機によっては陽とは反対の光を見ていることがある。
その光に見入ってしまうと、それがあなたにとって光の世界となって逆転してしまう。
サタンに完全に取り込まれた状態となる。
生命の木ではなく死の木への道が開かれる。
実は普通にある向こうの世界からの誘い
神と会見するときは、上丹田が開いている状態にある。
いくつかの例を挙げたい。
モーセの示現
モーセが神と示現を通して会話するシーンは、旧約聖書の出エジプト記に記されています。
神は燃える藪の中からモーセに現れ、イスラエルの民をエジプトの奴隷状態から解放する使命を与えました。
モーセは自分の能力に疑問を持ちましたが、神は彼に力を与え、兄アロンの助けを約束しました。
さらに、神と会話した後、モーセの額は神の栄光に触れた証として光り輝いていました。
この劇的な対話は、神の導きと救済の計画を象徴しています。
ジョセフ・スミスの示現
ジョセフ・スミスの最初の示現(ファースト・ビジョン)は、キリスト教の末日聖徒イエス・キリスト教会の創設者であるジョセフ・スミスが経験した重要な宗教的出来事です。
この示現は1820年の春、ニューヨーク州のマンチェスター近郊の森で起こります。
ジョセフ・スミスは14歳の時、宗教的な混乱と教会の対立に悩んでいました。
彼はどの教会が真実であるかを知りたいと強く願い、聖書のヤコブの手紙1章5節「知恵の欠けている人がいるなら、その人は神に願いなさい。そうすれば与えられるでしょう」という言葉に感銘を受けました。
そこで、彼は森に入り、ひざまずいて神に祈りを捧げました。
示現が始まる前に、スミスは激しい暗闇に包まれ、彼の周りが一時的に不安と恐怖に満ちた状態になりました。
しかし、彼が祈り続けると、その暗闇は消え去り、天からの光が彼を包み込みました。
スミスは光り輝く柱が天から降りてくるのを目撃し、その光の中で二人の輝かしい存在として神とイエス・キリストを見ました。
ジョセフ・スミスは、彼らが自分の前に立ち、すべての教会が正しくないこと、そしてどの教会にも加わらないように告げられました。
この示現はジョセフにとって非常に重要であり、それが後に彼が末日聖徒イエス・キリスト教会を設立するきっかけとなりました。
示現が終わると、スミスは疲れ果てて倒れ込みました。
彼はしばらくの間、地面に横たわっていましたが、やがて力を取り戻し、立ち上がることができました。
この体験はスミスにとって非常に現実的であり、その後の彼の生涯と教会の発展に大きな影響を与えました。
この最初の示現は、末日聖徒イエス・キリスト教会の信仰の基礎として非常に重要であり、神が現代でも人々に直接語りかけることを証明するものとされています。
この示現は聖霊が関与することで実現されています。
聖霊が関与することで神に直接会うよりも深い心理について理解できるようになります。
ジョセフ・スミスのこの経験は祈りによる瞑想から上丹田が開かれることによって実現したと考えられます。
深い瞑想が仮死状態を引き起こすこともあります。
示現の後に倒れるていたのは、霊が肉体を離れていた可能性もあります。
また示現が開く前に闇がジョセフを襲います。
祈りに集中することで闇をガードします。
光が集まるとき、周囲に闇が集まります。
闇の住人が語り掛けるのです。
パウロの経験
パウロはかつてクリスチャンを迫害していたが、ダマスコへ向かう途中で劇的な体験をした。
突如、天から強い光が彼を取り囲み、彼は地に倒れた。
その時、「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」という声を聞いた。彼が「主よ、あなたはどなたですか」と問うと、「私はあなたが迫害しているイエスである」と答えが返ってきた。
この経験を通じて、パウロはイエスの霊に呼び止められ、後に熱心なキリスト教徒となり、使徒としての生涯を歩むこととなった。
これも示現ですね。
祈りや瞑想を介さずにいきなり示現に引き込まれています。
パウロに示現を受ける資質もあったと思いますが、何より神の意志により示現に引き込まれました。
羨ましいことですが、彼の後に果たした使命に値する出来事でした。
みつげるの経験
みつげるの経験です。
教会の集会中に目が開けてきて人の背中に光の羽根ようなものが見えてきた。
羽根に見えるが、人が霊的な世界とつながるケーブルのようなものだと直感しました。
ここから霊的な知識や肉体を維持するエネルギーがやってくるのです。
また闇が覆うことも一瞬ですが経験しています。
これが啓示という経験をしっかり受け止める機会となりました。
実は教会の人の中にはそのような経験はありふれています。
啓示が何かを体験したら進むことが歓びとなっている
まず、瞑想からのトリップを経験することで啓示が何かを体験し理解すること。
私が教えるとしたら、「Yes or No 啓示」で中丹田での霊的な受け止めを経験してもらいます。

霊的な体験を積むことで瞑想の段階を深めて、丹田のレベルを上げていきます。
これには個人差がすごくあって、すぐにできる人もいれば数十年も経験しない人もいます。
これは「神があなたを必要とするときに呼ばれる」というしかありません。
こうなると資質だけの問題ではありませんね。
そしてほとんど解決したいことは中丹田の段階での霊感で充分で、驚くべき導きは普通にあります。
また、心の状態が悪いならダークサイドを栄光と誤認するかも知れない。
どの道を進むかどうかはあなた次第です。

まとめ:太陽の位の瞑想をものにしよう!
上丹田を開くことで特別な悟りを得るのがこの記事の目指すところです。
具体的には、宗教を求めること。
条件は「瞑想や個人の啓示を肯定する場所」です。
それ以外は意味がないし、危険でもあります。
瞑想や祈りを深めるなら宗教からではなく、まずは自己流でやってみることを提案します。
またわたしのブログ記事を読んだり、SNSをフォローもいいですよ!
コメント