明治維新の大嘘(1)-経済

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家族と家

経済とは経世済民という言葉を短くしたものです。世と民が抜けたことで、拝金主義の世の中になっていったのですね。経済という言葉を正しくしることが多くの問題を解くカギとなります。

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経世済民

経世済民(けいせいさいみん)とは、「世の中をおさめ、人民をすくうこと」とあります。主に為政者の使命であり、示すべき模範です。

今の日本の問題となっている少子高齢化は、民が安心して家族を形成していけないと感じているということです。家族を養う苦労はあるだろうが、この国の民は正しく導かれればその苦労を喜んで果たします。なので多くの問題は為政者達が目先の富は蓄えるが、国に対して大きな地図を描いていない利己的な態度にあります。
そこから生まれるのは先祖への感謝の欠如と受けたものを次世代へと受け継ぐ使命を失った民です。

家族と家
家があって、笑顔で豊かな家族がいる。それが経済

国民が豊かに暮らせるように

豊かさとは、お金に限りません。ふさわしい教育を受ける権利、子育てに専念できる母親と子供を見守りながら暮らしを守れる父親。畑で家族が必要とする作物を自給し、余分な作物は必要としている人にわかちあう。地域の子供たちを見守る。心の部分を豊かにするために、税金を配分し未来への投資を怠らない。

国民が安全に暮らせるように

国の政府は自然災害や他国からの侵略への備えは国がしっかりと投資をして充実させていく責務があります。そこに私利私欲か介在すれば歪んできます。最善の選択ができなくなります。また、伝染病への備えも国の責務です。

経済という言葉の空虚さ

経済とは本来はお金儲けやビジネスではないということですね。
豊かに幸せに暮らし民が、子育てをし、その子供が結婚し、また親になっていくという、人として当たり前にことが繰り返されていけるということです。また、不当に虐げられたり、不利益を被ることのない世をつくる責任が為政者にはあるということです。お金の偏りを経済とは呼ばないのです。働くということは、お金を集め独占するゲームではなく、世に還元し経世済民を実現するための手段なのです。

経済という言葉には世と民が抜けている

今の経済という言葉には世と民が抜けています。世のため自分以外の人のためにも自分がいるという視点が抜けているのです。
自分だけという視点は結局は自分を幸せにはしません。私たちは一人では生きていけないからです。

誰のための経済なのか?

施し散らして、なお富を増す人があり、与えるべきものを惜しんで、かえって貧しくなる者がある。
物惜しみしない者は富み、人を潤す者は自分も潤される。
穀物を、しまい込んで売らない者は民にのろわれる、それを売る者のこうべには祝福がある。
善を求める者は恵みを得る、悪を求める者には悪が来る。
自分の富を頼む者は衰える、正しい者は木の青葉のように栄える。

箴言11章24-28

聖書には神の視点があります。そこにはこの世を終えても先があることを示しています。神を信じていなくても、死んだ人にはお金は必要がなくなります。お金を多く子供たちに残していったとしても、それが幸せには必ずしもつながらないことはご存知ですよね? しかし、経世済民が機能している世を残していくなら、あなたは安心してこの世を離れることができるのです。神がおられるなら、安らかにあの世へ旅立てます。あの世よは経世済民が完成した世界でしょうから。


「99%の日本人が知らない 明治維新の大嘘」  三橋貴明著 経営科学出版

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