
「悔い改め」という言葉は、
なんだか重たく辛い感じで
やだな
「悔い改め(くいあらため)」という言葉を聞くと、どんな印象を受けますか?
多くの日本語話者にとって、「悔い」という言葉には、後悔・罪悪感・恥といった重くてネガティブな響きがあります。
まるで何か大きな失敗をしてしまって、うなだれて反省しているようなイメージかもしれません。
また、キリスト教の伝統に親しんでいる方でも、「罪を認めて、涙を流して許しを乞うこと」として悔い改めを捉える傾向があり、それ自体が「辛いプロセス」「厳しい要求」として心に映ることがあります。
しかし、末日聖徒イエス・キリスト教会における「悔い改め」は、それとは少し違います。
もっと身近で積極的で、人生を一変させてしまうパワーがあります。
末日聖徒イエス・キリスト教会における「悔い改め」とは、“新しくなる” こと
末日聖徒イエス・キリスト教会では、「悔い改め」は前向きな変化と成長のプロセスと捉えられています。
もともとの語源は、ギリシャ語の「メタノイア(metanoia)」。これは「心や思いを変える」「方向を変える」という意味を持ちます。
つまり、悔い改めとは:
- 自分を責めることではなく
- 自分を磨き、神に近づこうとすること
- できなかったことを、これからやり直せる希望
- キリストの助けを受けて、自分を癒し、新しくなる道
といったように、とても前向きで、希望に満ちた意味合いを持っているのです。
「悔い改め」は成長のステップ。罪の有無に関係なくできること
悔い改めというと、「何か悪いことをした人だけがすること」という印象があるかもしれません。
でも末日聖徒教会では、罪を犯したときだけでなく、より良くなりたいと願うすべての人が日々行うものとされています。
たとえば:
- 感謝の心を忘れていたと気づいたとき
- 他人に対して冷たくなっていたと感じたとき
- もっと優しくなりたい、もっと祈りたいと思ったとき
これらもすべて、「悔い改め」のきっかけになり得ます。
それは神に心を開いて、少しずつでも変わっていこうとする柔らかな勇気であり、私たちがキリストの愛と力に近づく道なのです。
重荷ではなく、希望の扉
悔い改めは、間違いを責め立てるものではなく、やり直せる希望と、神の変わらぬ愛に触れる扉です。
神は、完全な人だけを求めているのではありません。
変わろうとする心を持った人を、喜んで迎えてくださいます。
悔い改めるたびに、私たちは少しずつ神のかたちに近づき、もっと自由に、もっと愛深く生きられるようになります。
最後に:「悔い改め」=自分を大切にする選択
「悔い改め」とは、
自分を責めることでも、過去に縛られることでもなく、
神のもとに戻りたいと願う“心の方向転換”です。
誰でも、いつでも、今この瞬間から始められる。
そしてそれは、自分をもっと大切にし、もっと幸せに生きるための選択でもあります。
どうか「悔い改め」という言葉を、恐れずに、あたたかく受け取ってください。
それはあなたの人生を輝かせる「始まり」の言葉なのです。



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