「霊的な経験をすると早死にするの?」という質問に答えてみた

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日曜日に教会でなんとなく過ごしても、帰るとぐったりと疲れているのよ。
肉体的や精神的な疲れ以外のものがあるんじゃないかな?
身体には良くないんじゃないかなあと不安です。
このままいくと、病気になったして寿命をけずって早や死にするのかも知れない。
それはいやだなあ。どう思いますか?

ハッキリいうと霊的な経験は身体には良くないかも知れません。

強い霊的な経験は身体にダメージを与えてるかも知れない。

証明はできないですが、否定もできないです。

しかし、霊的な経験が体に悪いだけならあまり意味はないかもです。

寿命が多少けずられたとしても、叶えたいことや、人智を超えて知りたいことがあるとしたらね。

この記事ではそんなことをお話します。

■記事の内容

  • 身体へのダメージを実感するとき
  • どうして疲れるのかを考えてみた
  • 霊的な経験が身体に悪いとして、替わりになにか得てるの?
  • 死なない人になってみる?
  • 命の意味

わたしはクリスチャンとして40年(2022年現在)ほどを過ごしてきました。

それだけではなく、神秘主義の研究者として35年ぐらいになります。

■不思議に思ったこと

クリスチャンとして生活していると、霊的にすばらしくて、「すごい人だな」とか「こんな人になりたいな」という人に出会えました。

その方が病気がちだったり、体が弱かったりして早く亡くなることも多々ありました。

そういう人はずっと年上なので老いていったということもあるのでしょうが、「それだけではないんじゃないか」とも思えたのです。

そういったことも心の片隅で答えを求めてきました。

得てきたと思える答えを紹介していきます。

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身体へのダメージを実感するとき

経験的に霊的な現われに強い疲労を、たびたび体験しています。

教会の友人にきいても同じような感じを経験している人は多い印象です。

礼拝行事

クリスチャンとして日曜日には教会へ行って礼拝行事にでます。

そのあとは、毎度かなりの疲労感があります。

「良かったなあ」とか「楽しかったなあ」など、幸せな疲れなので嫌なところは全くありません。

祈るとき

祈り導きを受けていると感じるときは歓喜の中にいます。

その後でぐったりすることがあります。

それでも精神的には充足した疲れでした。

儀式を通して

教会では、バプテスマ(洗礼ということもある)や聖餐の儀式などをする機会があります。

そこでも心地よく、すこし重めの疲労が伴います。

こういった疲労感をわたしは「みたま疲れ」と勝手に呼んでいます。

ジョセフ・スミスの経験からわかること

わたしのいる教会は「末日聖徒イエス・キリスト教会」という教会です。

ここは、ジョセフ・スミスが少年のときに答えを求めて祈っていたときに、天父とイエス・キリストが現れ答えを示されたことからはじまっている教会です。

これを「最初の示現」と呼んでいます。

示現とは実物の神の現われではなく、聖霊が関与して見せているものです。

その示現を終えたときにジョセフは倒れ込んでいました。

わたしもここまでではないにしろ、似たような経験をしています。

体に良くなさそう

なんだか霊的な経験って身体に悪そうな印象ですよね?

ここまで書いていてそう思いました。

「少しずつ寿命が削られているのかも」とか「霊的な経験は危険だ」と思われた方もいることでしょう。

こんなの信じられないとか?

霊的な現われとか信じられない方もいるでしょうね。

「そんなことは経験したことないし、幻想だ」とかね。

体験してみては?

「祈ったことはあるけど、そんなことは経験したことない」

「人によって受けるには素質があるんじゃないの?」という意見もありました。

表層の意識では感じていなくても、深層意識では何かを感じているかも知れませんよ。

それを表層の意識に引き寄せることが瞑想や祈りです。

まずは適切に霊的な経験できるところで体験してみてはどうでしょうか?

ところによっては悪意からマインドコントロールに利用されるかも知れませんので、気をつけてね。

うまくいけば疲れるけど、生きてる実感が湧いてきて、幸せな時間を体験できるでしょう。

どうして疲れるのかを考えてみた

霊的な力はかなり強い光に感じる

光は放射線でもあります。

霊はいわゆる放射能で放射線を出しています。

霊的な経験とはその光を浴びることでもあります。

霊的な光は放射線として、身体にダメージを与えているのかなという感じはあります。

それは身体の細胞を劣化させていくのかも知れません。

あなた自身も放射能

あなたの身体のなかの異空間には、あなたの霊が存在しています。

人の霊もまた光(放射線)を放っているのです。

その光は現世の体を徐々に崩壊させていくと考えます。

老化の原因は案外ここにあるかも知れませんね。

「人はパンのみにて生きるにあらず」ですが、

「人は飢えのみで死ぬにあらず」です。

人の霊が強くなればなるほど光は強くなり、肉体へのダメージは大きいと考えます。

霊的な疲れで身体の寿命を少しづつ削っているのかも知れません。

しかし、霊的な経験がもたらすマイナスの効果よりも、それを代価として得るものに価値を置く人はいます。

そのような人はかまわずに霊的な経験を増し加えようとするでしょう。

どうしてでしょうか?

霊的な体験が身体に悪いとして、替わりになにか得てるの?

霊的な体験の代価として体へのダメージがあるとして、替わりに何を得ているのでしょうか?

人を超えた知識や確信は生きるパワーになる

啓示を受けることは、身体や寿命を削る行為なのかも知れない。

それでも知りたいことや、得たい答えがあるなら深く祈り答えを求めるべきと思います。

知ることは喜びです。

たとえそれで少し早く世を去ることになったとしても充分なものを得るはずです。

何かを得たいなら常に代価(犠牲)は伴います。

いずれみなが死ぬなら、意義ある生き方をしたいと思いませんか?

そう思わないことも、また自由です。

もともと人が健康で長く生きることは神の目的ではありません。

寿命が削られているなんて印象であってわからないですよ。

というより、日々を生きること自体が寿命を削っているということでしょう?

霊的な経験を通して得ているものがあるとして、身を削ってでも得ているものとはなんでしょうか?

  • 神は存在するのか?
  • 未来を知りたい。
  • 隠された真理を知りたい など

一時的に内面の神と会うことによって、これらの答えを得ることがあります。

疲れはあるし、寿命が大幅に削られているのかもしれませんが、達成感が半端じゃないですよ。

死なない人になってみる?

福音には「復活の教義」があります。

死んだとしても、全ての人は新たな肉体を得て生き返ることです。

肉体の死は贖われるのです。

この世の人生は死んで終わりません。

霊の放つ光に負けない肉体を新たに受けるのです。

復活して日の栄の最高の身体を受けると最強になります。

霊の光には段階があって、得ている光によって居る世界や見える世界が変わっていきます。

それは現世でも?

深い知恵をえるために深く瞑想をし、祈ることは「自殺的な行為」なのかも知れないけれど、自殺ではありません。

例えれば、霊的な筋トレでしょうか。

ゲームなら今いるステージは早くクリアして、次のステージへ行きたいと思いますよね?

永遠の見地からみた人生も同じです。

神の視点で新たな物差しを得ると世界の見え方が一変します。

いわゆる「悟り」ですね。

現世であろうと来世になろうと神から与えられた使命によって生き続けることが喜びになっていきます。

身を替えられる

復活までは至らないけれど、肉体が一時的に強化されることを「身が替わる」といいます。

十二使徒のヨハネがその措置を受けて、今も生きています。

彼らは役割があって、再臨まで現世の身体のまま天使として役割を果たします。

あなたも使命を見出し、必要ならば「身が替わった」人になるかも知れませんね。

そのような人は終わりのときに「死を経験しない」と言われています。

死の瞬間に復活体となるのです。

そうならなくても、復活して神の国で安息を得るのです。

何も不満はありません。

命の意味

命の感じには「生きる」という意味はあまりありません。

使命や役割のために命があって、生きる感じです。

少し命を削ってでも向こうの世界を見てみませんか?

蛇足ですが、軽い瞑想は逆に爽快感があります。

毒も少しなら薬になる感じでしょうか。

深い祈りに移ると、後でドッと疲れるんですけどね。


霊的な経験は寿命を削って得ている可能性があります。

あくまでも可能性で確認できるわけではありません。

死んで終わる訳じゃないし、替わりに得られるものがデカイのです。

「死んだら終わり」の考えの人なら霊的な経験をしない方がいいのかも知れない。

それはあなたが選ぶこと。

経験すれば現世での人生の長さはそれほど問題じゃないと思えてくるはずです。

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