神道はもともと、祈りと調和の道だった。
ところが近代日本は、その“道”を国家の手で制度化し、神を統治の道具に変えてしまった。
それが「国家神道」と呼ばれる体制である。
国家が神を使い、人が神を支配したとき、信仰はどこへ向かったのか。
(関連:靖国神社 ― 英霊と権威のねじれた聖域)
もともとの神道は「祈りと調和」の道だった
山や風、祖先に宿る神を敬い、自然とともに生きる――。
これが本来の神道である。
神道には経典も戒律もなく、「生きとし生けるものを尊ぶ心」そのものが信仰だった。
天皇はその神々に仕える最高の祭司(さいし)として、国の安寧と人々の幸いを祈る存在だった。
つまり「まつりごと(政)」とは本来、支配ではなく祈りであり、調和のための行為だったのだ。
政治が神を必要とした時代
明治維新ののち、新政府は新しい国家の正統性を「天皇=神の子孫」という神話で支えることにした。
神の権威を政治に組み込み、国民を精神的にひとつにまとめようとしたのである。
こうして信仰は「国家の統治装置」に姿を変える。
神道は宗教ではなく「国民道徳」とされ、学校教育のなかにも入り込んだ。
「忠君愛国」や「天皇への奉仕」が道徳の核となり、神の名のもとに国家への服従が求められた。
信仰ではなく“制度化された神聖”が、人を動かす時代が始まった。
国家神道の象徴 ― 靖国神社の誕生
国家神道の思想は、ひとつの神社に結晶した。
それが靖国神社である。
そこでは、国家のために死んだ人々が「英霊」として祀られた。
個人の魂ではなく、国家の忠誠を象徴する存在として。
つまり「天皇のために死んだ者は神になる」という思想が、制度として形を持ったのだ。
その詳細については、靖国神社 ― 英霊と権威のねじれた聖域 にて詳しく触れている。
国家神道の終焉と、残る影
敗戦とともに、GHQの「神道指令」により国家神道は解体された。
だが、「天皇の祈り」と「国家の権威」は、完全に切り離されたわけではない。


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