混沌とした現代と近未来に心の平安を得る|ノストラダムスの四行詩を解く!

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世界は最悪へと向かいだす。

その時代を生きて乗り越える保証はない。

神に愛されるしもべでさえも同じ。

しかし、彼らは死を恐れず受け入れる。

そこには修羅場でも死に瀕しても心の平安がある。

どうすればそんな気持ちになれるのだろう。

ノストラダムスの諸世紀にそんな疑問に応える預言があった!

ノストラダムスの「諸世紀2:13」(ミツゲル訳)

魂なき薄っぺらな肉体は もはやいけにえとして認められない、
死の日が新たな生まれの本質となり、
神の霊が魂を幸わせにするだろう、
永遠の言葉を味わいながら。

〈フランス語の原文〉
Le corps sans âme plus n’est en sacrifice,
Jour de la mort mis en nativité,
L’esprit divin fera l’âme felice,
Voyant le Verbe en son éternité.

救いは信仰に力と確信を与える永遠の言葉にあり。

永遠の言葉を得るための道筋を四行詩から解説します。

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目次

霊的に生まれ変わる条件と受ける祝福

①イエス・キリストを信じ、悔い改めよ!

「魂なき薄っぺらな肉体は もはやいけにえとして認められない、」

「いけにえ」とはイエス・キリストの福音では、
「へりくだる心と悔いる精神」であり、
それがある状態とは、神の求める魂を持っていることである。

ここではそうではないのだから、
現代人の心の荒廃を予言するものとなっている。

逆に解釈すれば「へりくだる心と悔いる精神」を持てば、
救いのチャンスがあるということ。

段階としては、キリストへの信仰と、悔い改めとなる。

②イエス・キリストの名によるバプテスマ

「死の日が新たな生まれの本質となり、」

罪の赦しのためのバプテスマのことである。

悔い改めて神に従うことを神の前に聖約する。

なぜそうするのかは、
「バプテスマ」が神によって定められた
儀式だからである。

水に沈めるバプテスマは死の象徴であり、
水から再び出たときに生まれ変わり、
罪を洗い流す象徴となり、
神によって新たに生まれることを
意味する。

それが、「生まれの本質」という意味となる。

③聖霊の賜があなたの心眼を開く

「神の霊が魂を幸せにするだろう、」

真に悔い改めた者にのみ
与えられる平安である。

これは聖霊によって、
罪のゆるしを自覚させ、
心に喜びを与える。

この心に感じる部分こそが
「霊感」であり「啓示」である。

そして、聖霊から受ける印象を
割符として神と個人的な関係が
築かれていく。

④あなたの生涯を神の霊が導いてくれるだろう。

その結果として
「永遠の言葉を味わいながら。」となる。

聖霊の導きを度々受けることによって、
ますます神に近づいていく。

これはその人が神の属性を
持ちつつあることを意味する。

救いの道と道標はすでに用意されている

現代の人々の心の荒廃を予言しつつ、
イエス・キリストの真の教えは
回復されていることも示している。

ただ・・霊を乱す雑音が多過ぎて、
見えなくなっている。

探すなら見出せるところにあることも
示している。

真に求める者を神は必ず導くし、
あなたは見出すチャンスを得るでしょう。

神にとって生と死は同価-全てが「生きる」こと

神と価値観を共有するときに、
意識があなたの世界を拡大する。

あなたの真に大切なものが見えてくる。

結果的に現世での生か死かはどうでもよくなる。

見いだせ永遠の宝の目印

個人の啓示を肯定してくれる場所を探せ!

教祖だけが霊感を受けて指示をだすようなら、
あなたにはその真偽を確かめるすべがない。

「これが真実かどうか、
あなたも同じ啓示を受けなさい」
そう言えないなら、そこにあなたを救う
真理はない。

真の教会はあなたの目に
怪しい宗教と見えるかも知れない。

真実を見極めるために聖霊は
一時的にあなたを助ける。

恐れや疑いから通り過ぎてしまうと
心は鈍くなり印象は薄れて消えてしまうだろう。

霊感の欠片をうけても、
しばらくすれば雪のように溶けて、
夢のように忘れてしまう。

そうやって知らず知らず
滅びに歩みを続けていく。

まずは神があなたの霊に語りかけるまで
辛抱強く探し続けることが肝心です。

あなたの切実な願いは、
必ず神には届いています。

あきらめないで!

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