クリスチャンの特権:聖餐の儀式でくりかえし新たに生まれる

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日々の暮らしで疲れている。
なんか、リフレッシュしたいな。

なら、日曜日に教会に行ってみませんか?
心や思いの中にたまった汚れを洗い流すために。

クリスチャンが毎週日曜日に教会に行くのはなぜ?
それは、心の洗濯をしてスッキリするため、
それは聖餐の儀式を受けることで達成できます。

また、次の週に神より聖霊を通してサポートを受ける道を維持するためでもあります。
これが真の目的です。

一度、教会に行って体験してみましょう!

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目次

聖餐を受けるのは日々に罪の赦しを受けて前に進むため

教会では日曜日に聖餐の儀式をしています。

いろいろあった1週間に区切りをつけて新たな週を生きるためです。

新たに生まれ変わるためといってもいい。

贖いと贖罪

神のいう罪とは何?

人は完全でないと天国に行けないことになっています。

最初は人は罪があって至らないので神と断絶している状態です。

要するに人の完全でない選択や行いって原則的に全て罪なんです。

人は例外なく罪人でした。

というか罪が何かを自覚した時点で罪人確定です。

イエス・キリストの贖罪を通して救われる

イエス・キリストは最後の日にゲッセマネの園でわたしたちが罪を自覚したときの全人類の影響を一身に受けて苦しみました。

彼の半分である神からうけた不死の肉体はそのためにありました。

普通の人なら死んで解消される苦しみが不死なので解放されることなく、最後まで苦しみもだえて、極度すぎるストレスで全身の毛穴から血がながされました。

そのあとの十字架上での苦しみも含めて贖罪です。

イエス・キリストは人の罪のための報いを身代わりに受けたのです。

イエス・キリストは天国と地獄の間にかかった橋

福音は人が罪から癒される方法を示しています。

イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

新約聖書 日本聖書協会 口語訳 ヨハネの福音書14章6節

それを人が受けるためには、橋を渡る資格を得る必要があります。

天国と罪による結果の世界には隔絶された深い崖があります。
そこに架けられた門番付きの橋がイエス・キリストなのです。

橋を渡る。
それがバプテスマ。

バプテスマを受ける|天国への入り口をくぐる

イエス・キリストへの信仰

イエス・キリストを知り、理解し信頼する。

それが信仰のはじまりです。

悔い改め

思い起こす限りの罪を悔いて神に開示します。

あまりに重い罪は教会の管理者の助けを借りて悔い改めます。

一番、気乗りのしない過程ですが、おろそかにすると実効のない契約になってしまいます。

バプテスマ

全ての罪を思い起こして悔い改めることは不可能です。
人は忘れることで自分を保ってきました。

だからバプテスマを受けて神に従う誓約を結ぶことによって全ての罪を許す措置がとられます。
保留ともいいますね。

わたしの教会では全身を水に沈めます。
死と復活の象徴がこの儀式にはあります。

生まれ変わって天国への入口を潜るのです。

バプテスマは基本的に一生で一度だけです。

見よ、これはわたしの教会である。バプテスマを受ける者はだれでも、悔い改めのためのバプテスマを受けなければならない。あなたが受け入れる者はだれでも、わたしの名を信じなければならない。そうすれば、その者をわたしは惜しみなく赦そう。

末日聖徒イエス・キリスト教会 モルモン書 モーサヤ書26章22節

聖霊を受けるための按手礼

バプテスマのあとに、あたまに手を置かれ「聖霊の賜物」が与えられます。

聖霊を通して罪が赦された自覚を受けることができます。
ここで受ける感じは啓示であり霊感です。

ここから相応しいなら神からの直接の導きを啓示を通して受けることができるようになります。

これは約束であり実効は必ずしも伴わない。

相応しいなら・・・の条件が伴います。

聖餐の儀式

イエス・キリストへの信仰を持ち続ける

聖典にあるイエス・キリストの模範が指標となります。

イエス・キリストはどんな方かを学び続けて、自分もそうなるように努力をします。

イエス・キリストのコピーになるかのように生きるのがクリスチャンの道です。

日々の悔い改め

それでも人間で世間で生きてますから、罪や至らないことは常に付きまといます。

いちいち憶えていられないくらい、わたしたちは相応しくなくなっていくのです。

聖餐の儀式

だから、クリスチャンは毎週毎に教会に行って「聖餐」を受けます。

イエス・キリストの肉の記念のパン、血の記念の水を受けます。

それはバプテスマにかわるもので、バプテスマの時の儀式の誓約を更新するものです。

毎週、新たに生まれ変わる機会があるわけです。

聖霊を受ける

相応しくなって聖霊と交流する権利を保持することができます。

現世において、この価値は非常に大きいのです。

まとめ:心の中に天国を据える

クリスチャンになっていても世の荒波は苦しいです。

そこに心を護るサポートを神より受けることは大きなメリットです。

そこには、神に心の苦しさを訴える場所があって、癒される場所がある。

新たに生まれ変わって月曜日を迎えます。

さあ、あなたも教会に行ってみましょう。
聖典を読んでみよう。
祈ってみよう。
瞑想してみよう!

新たな人生を始めませんか?

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