怪しい教えがはびこく時代に、
それが「真理かどうか」をどう見分けているの?
神秘主義に関わる者として、私は多くの霊的伝統・象徴・体系と向き合ってきました。
カバラ、神道、仏教……。
それぞれに深い洞察があり、時に魂を震わせる真理の片鱗もあります。
しかし、霊的な探求を続ける中で、私はある疑問に突き当たりました。
それは、「これらの概念や啓示は、本当に神から来ているのか?」という問いです。
この問いに対する確かな指針としてわたしは、一つの拠り所を得ることになりました。
それが、末日聖徒イエス・キリスト教会(通称:モルモン教会)の教義です。
なぜこの教会なのか?――2つの軸
私がこの教会の教義を「霊的真偽を見分けるための試金石」として信頼する理由は、大きく二つあります。
1.個人の啓示を公式に肯定している
末日聖徒イエス・キリスト教会は、「神は今日も語られる方である」と教えます。
しかもそれは、特別な預言者だけに限らず、あらゆる個人が、神から直接啓示を受けることができるという信念にまで及びます。
- 「神はあなたにも語られる」
- 「その答えは、祈りによって得られる」
この教えは、神秘主義の根幹――“内なる神との交信”という原理にぴたりと重なります。
しかもそれが、曖昧な主観の世界にとどまらず、明文化された教義として、制度として教えられているのです。
これほどまでに、個人の啓示を公に支えるキリスト教の教派は、他にほとんど存在しません。
末日聖徒イエス・キリストの姿勢は神秘主義の実践そのものといって良いものです。
2.救いの道が一貫して明確である
多くの教派では、「救い」とは何か、「どうすれば救われるのか」という問いに対して、
曖昧さや矛盾、あるいは時代による変化が見られます。
しかし、末日聖徒イエス・キリスト教会は違います。
- 信仰
- 悔い改め
- 権能によるバプテスマ
- 聖霊の賜物
- 忠実に生きること
この霊的なプロセスは、誰にでも明快で、一貫しています。
しかも、救いと昇栄(exaltation)という概念の違いすらも、きちんと体系化されています。
その結果、自分自身の魂の位置や方向性を、明確に確認し続けることができるのです。
これは、迷いがちな神秘主義的探求において、極めて重要な「座標軸」となります。
神秘主義の研究者としての私の立ち位置
私は、神秘主義の知見や象徴体系を「否定する」つもりはありません。
むしろ、そこには多くの象徴的真理や霊的記憶の断片が眠っていると考えています。
ただ、それらが「本当に神からのものか」を見極めるとき、
私は常に、末日聖徒イエス・キリスト教会の教義を照らし合わせるための基準としています。
いわばそれは、霊的な試金石です。
- 個人啓示を肯定しているか?
- 神の義と愛は整合的か?
- 救いの道は明確か?
- 神の計画は普遍的か?
- その教義は、啓示に基づいているか?
このフィルターを通したときに、初めて私はある概念や啓示の真偽の可能性を探ることができると信じています。
だから私は、ここに立つ
神は沈黙していません。
そして、私たち一人ひとりが神の声を受け取る力を持っています。
私が末日聖徒イエス・キリスト教会の信仰に立つのは、神秘主義の探求からも得た結論であり、
霊的真理を探るすべての旅人にとって、有効な「霊的な羅針盤」を得たと確信しているからです。
あとがき:このブログの意図
このブログでは、神秘主義に関わるさまざまなテーマを取り上げつつ、
その背後にある「真理性」や「啓示性」について、末日聖徒イエス・キリスト教会の教義に照らして探求していきます。
つまり、単なる情報の羅列ではなく、
「本当に意味のあるものは何か?」を見極める視点で記事を書いていきます。
わたしたちは,正直,真実,純潔,慈善,徳高くあるべきこと,またすべての人に善を行うべきことを信じる。実に,わたしたちはパウロの勧告に従うと言ってもよい。わたしたちはすべてのことを信じ,すべてのことを望む。わたしたちはすでに多くのことを堪え忍んできており,またすべてのことを堪え忍べるようにと望んでいる。どのようなことでも,徳高いこと,好ましいこと,あるいは誉れあることや称賛に値することがあれば,わたしたちはこれらのことを尋ね求めるものである。
ジョセフ・スミス
末日聖徒イエス・キリスト教会の信仰箇条13条
この立場に共感する方、あるいは探求の途中にいる方にとって、
少しでも道しるべとなれば幸いです。



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