
神は本当に語っているの?
自分にも答えてくれるの?
私たちは誰しも、心のどこかで「神は本当に語っているのか?」「自分にも答えてくれるのか?」という問いを持っています。
ユダヤ神秘思想カバラは、その問いに対してこう語ります。
「神は沈黙しているのではない。
ただ、私たちが受け取る準備ができていないだけだ。」
本記事では、カバラを「神の啓示をどう受け取るか」という視点から読み解きます。
また、末日聖徒イエス・キリスト教会の教えとも対比しながら、「今を生きる私たち」が神とどうつながれるのかを探っていきます。
カバラとは「受け取る技術」である
カバラは、「受け取る(קבלה)」という意味を持つヘブライ語に由来します。
それは単に神の秘密を知識として理解することではなく、神からの“光”や“導き”をどう受け取るかという霊的な姿勢そのものです。
カバラでは、神は「エン・ソフ(無限なるもの)」として常に流れ出る存在であり、
その光は、私たちの“器(意識・心)”の形によって変容するとされます。
なぜ啓示には“偽り”もあるのか?
真理が存在するなら、それによく似た“似て非なるもの”もまた現れます。
これは聖書の中でも何度も語られてきたことです。
愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出でてきているからである。
新約聖書 日本聖書協会 口語訳 ヨハネの第一の手紙4章1節
カバラでも、神の流れ(セフィロト)の背後には、その影となる「クリフォト(殻)」があるとされます。
それは、受け取る側の器が汚れや執着に満ちているとき、同じ神の光が“歪んだ形”で現れるということです。
イエス・キリストの教えは、隠された奥義の“成就”
イエスはこう語っています。
わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。
新約聖書 日本聖書協会 口語訳 マタイによる福音書5章17節
旧約に示された律法や儀式は、その背後に隠された意味(Sod=奥義)を秘めていました。
イエスの福音は、その奥義のヴェールを取り払い、人が神と直接つながる道を開いたものとも言えます。
パウロもこう言います:
神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである。
新約聖書 日本聖書協会 口語訳 コロサイ人への手紙1 1章27節
末日聖徒イエス・キリスト教会の「回復」は、神秘主義的な啓示の再始動
末日聖徒イエス・キリスト教会では、創始者ジョセフ・スミスが森で祈った際、
父なる神と御子キリストから直接啓示を受けた体験(ファースト・ビィジョン)が始まりとされています。
ジョセフ・スミス—歴史 預言者ジョセフ・スミスの歴史からの抜粋
これはまさに、「神の声は今も生きている」という啓示神秘主義の系譜にあります。
- 個人の祈りを通じて啓示を受け取る
- 聖霊の導きに日々耳を傾ける
- 神殿の中で象徴と静寂を通じて神と交わる
末日聖徒イエス・キリスト教会が実践しているこれらの信仰は、まさにカバラが追求した「神との一体化(デヴェクート)」そのものに近い構造を持っています。
ジョセフ・スミスの経験は一宗派の目立たない出来事ですが、キリスト教の大きな変革であり、啓示の回復という世界的にとてもとても大きな出来事だったのです。
神は人を分断するために語るのではない
啓示は、誰か特別な人にだけ与えられるものではありません。
すべての人に、神はその人の理解と心の状態に応じて語りかけておられます。
仏教の禅もまた、静寂の中で“気づき”を得ることを重視します。
スーフィーもまた、神の名前を唱えながら沈黙の中に神の声を聞こうとします。
スーフィー(Sufi):イスラム教の神秘主義(スーフィズム、Sufism)を実践する人々のこと
宗教は分かれていても、その奥底では「ひとつの源からの啓示」を目指しているのではないでしょうか?
結びに ― 分かれながら、共に真理に向かう
人類は、啓示によって“分断”されるのではなく、
それぞれが異なる言葉・象徴・儀式を通じて、共に真理に向かって“分かれながら近づいている”。
カバラが教えるように――
光は、器の形によって違った色に見えるけれど、元は同じひとつの光なのです。
そして今も、神は語りかけています。
あなたが静かに、そして真剣に問いかけるなら、
その声は必ず――届くでしょう。
あなたへの問い
「あなたの“器”は、神の光を受け取る準備ができていますか?」
静けさの中に、答えがあるかもしれません。



コメント